›2014- 1- 16

1986年 大学

Posted by LSD at 22:21 / Category : 清志郎が教えてくれた
そういえば1986年といえば大学入学の年でした。
ちょっと前に書いたような気もするけど。

だがしかし、ほぼまったく行かなかったからな〜、大学。
なにしろ空気が合わなかった。
勝手に浮きまくってる、と思い込んでたし、実際、かなり浮いてたと思う。
浮いてたというか、友達もほぼいなかったから、まわりからは目にすら入ってなかったって感じかな、たぶん。
とにかく嫌だったなー。
今思えば、たぶん、自分のようなモノでも居場所があったんじゃないかって気がしないでもないけど、当時はそういう場所を探そうともしなかった。
その必要性も感じなかったし。
5月くらいからはバイトにハマってたし。

そうそう、そもそも、エスカレーターで大学に入っちゃったから、新しい友達なんか要らないなって本気で思ってたな。
そういえば。

ってな感じで、激しく何も書くことがない大学生活。
1年、2年はそれでもそれなりに必修科目くらいは受けてたかな〜。
しょーがないから。
それでも、2年から3年に上がれずに、結局留年。
5年間、大学生活を送ることになります。
5年かー、けっこう長い間だったんだなー、今思うと。

›2014- 1- 14

1986年 清志郎

Posted by LSD at 21:55 / Category : 清志郎が教えてくれた
1986年に発売されたRCやら清志郎のアルバム等はこんな感じみたいです。

S・F/KIYOSHIRO,JOHNNY,LOUIS&CHAR(1986-03-21)
県立地球防衛軍/KIYOSHIRO,JOHNNY,LOUIS&CHAR(1986-03-30)
NAUGHTY BOY/RCサクセション(1986-04-23)
the TEARS OF a CLOWN/RCサクセション(1986-10-12)

私は、KIYOSHIRO,JOHNNY,LOUIS&CHARは、ほとんど興味がなくて、当時は音源を買わなかったし、聴きもしなかったような気がするな~。
RCの「NAUGHTY BOY」も、リアルタイムでは聴かなかったかも。

まだまだ清志郎、というか、RC熱が一番冷めてる頃なんですね。
1985年の「HEART ACE」が、どうにもこうにも、ま、嫌いじゃないとして、うむーって感じだったので。

とはいえ。
10月に発売された「the TEARS OF a CLOWN」。
これはよかった。今でもけっこう好きなアルバムですが、当時はなんだか興奮したな〜。
当時、ようやく普通に普及していたビデオデッキ。
そう、「the TEARS OF a CLOWN」のライブ映像がまた良くて。

まだまだ私は、清志郎どころか、誰のライブにも行ったことがない状況。
そんななか、「the TEARS OF a CLOWN」のライブ映像はすごく興奮しました。
なにしろ、「ヒッピーに捧ぐ」がいいのです。
今でも、RCの映像では、この「ヒッピー」が一番好きかもしれないな〜。
私は、映像は、あんまり繰り返し観る方ではないのですが、この「ヒッピー」はかなりリピートしました。
とにかくいいのです。

ということで、「the TEARS OF a CLOWN」。
この1枚で、RC熱が復活し始めた、そんな1986年でした。

›2013- 12- 19

1986年 映画

Posted by LSD at 22:45 / Category : 清志郎が教えてくれた
この頃、映画ってぜんぜん見てなかったような気がします。
って、ぜんぜん覚えてないんだけど。
とりあえず、Wikipediaとかで1986年に公開されたものから、これは観たな〜って映画をピックアップするとこんな感じ。

キャバレー
熱海殺人事件
天空の城ラピュタ
エイリアン2
赤ちゃんに乾杯!
プリティ・イン・ピンク
トップガン

とはいえ、劇場でリアルタイムで観たなってものは、うーん、ラピュタくらいしか自信ないな〜。
1986年というと、たぶん、レンタルビデオ屋さんがかなり普及してたと思います。
で、けっこうガンガン映画を借りて観てました。
1987年辺りかも、だけど。
でも、何を観たかってのはさすがに記録してない、いや、してるかな。
あとでまた確認してみよう。

とりあえず、話を戻して、1986年に公開された映画で、一応、観た!ってもののなかでは、ラピュタはやっぱり大好きだから、ちょっと別格って感じ。
熱海殺人事件は、蒲田行進曲がすごく面白くて好きな映画だったんで、その余波で。
でもイマイチだったような。
エイリアンは、この手の映画?のなかでは好きです。
単純に面白いと思うな〜。エイリアン2も面白かったような気がします。
トップガンはすごくヒットしたと思うのですが、私はダメだったな〜。
ぜんぜんおもしろくなかったような。

プリティ・イン・ピンク、この手の青春モノ?、なんか流行ってたような。
けっこう好きだったな。
プリティ・イン・ピンクも、今では、まったく覚えてないんですが、けっこう面白いと思ったような気がします。

で、キャバレー。
映画そのものはそんなに面白いとは思わなかったはず、なんですが、原作者の栗本薫を思い出しました。
もしかして、このカテゴリーの中でもう書いたことあったかな。
書いたような気もしますが、私は、栗本薫にけっこうハマってました。
「本」のときに書こうかなー。
なんだかそんなことを思い出した1986年の映画、です。

いまひとつパッとしないですなー。

›2013- 12- 7

1986年 バイク

Posted by LSD at 19:56 / Category : 清志郎が教えてくれた
小平でバイトを初めて数か月。
最初のうちは、ウチからは電車で通ってました。
最寄り駅から小平駅までは数駅なんですが、乗り換えなくちゃならず、それなりに時間がかかってたかな〜。
でもって、ウチから最寄り駅までは自転車で15分くらいかかるし、小平駅からお店までも歩いて10分くらいかかってた。
誘ってくれた友達が小平駅に置いてある自転車を貸してくれたんだけど。
いずれにしても、けっこう通うのが大変。
てなことで、たぶん、原付きの免許をけっこう早めに取ったんじゃなかったかな。
で、いつ頃からだろ、夏くらいからはバイク通勤になったような気がする。
バイクだと、お店まで30分強くらい。
ずいぶん楽になった。

夏くらいには、バイトにも完全に慣れてたはず。
で、それまでは大学生なのに、高校生バイトと同じように22時で帰宅してたんだけど、深夜2時までやるようになっていた。
18時から翌2時までってのが、基本、だったかな。
たぶん、土日はもちろん、平日は2日くらいは休み、くらいのシフトだったような気がする。
4月には大学生になってたんだけど、初めから、ほぼまったく行かなかった。
エスカレーターだったんで、周りには高校生のときの(数少ない)友達もいたし。
さしあたりは困らなかった。
大学の雰囲気はまたあとで書こう。

て感じで、バイクでのファミレスバイトの日々でした。
まさか、それから5年間もその店でバイトを続けるとは(途中1年くらいは抜けてたけど)、その頃は思ってなかったかな〜。
ホールに出てウェイター、あるいは、パフェとか作ったり。
楽しかったってはもちろん、そこに居場所があったんだよな、たぶん。
まさに、生活の中心がバイト。
そんな日々が続くことになります。
とはいえ、まだ1986年当時は、そのお店の中心人物??的な存在とは言えなかったかな。
まだ新人みたいなもんだし。

ほとんど惰性で続けてた、みたいなもんだけど、それなりに楽しい毎日でした。

›2013- 11- 11

1986年 小平

Posted by LSD at 21:57 / Category : 清志郎が教えてくれた
1986年、ウェイターのバイトを探し、けっこうあっという間に見つかりました。
ウェイターにこだわりはまったくありません。
切実にバイトをやらなくちゃってこともありませんでした。
すべては、友達まかせ。
なもんで、友達の自宅近くの小平駅周辺でバイトを探してました。

だがしかし。
まさか、この小平が、この先、第二の故郷といっていいほどの街になるとは、この時は思ってもみなかったな。
とりたてて特徴のある街ってわけでもないんですが、小平。
とにかく、このさき、5年間以上、なんとはなしに通い詰めることになりました。
濃いといえば、濃い毎日。
もしかして、人生で一番自由な時間の大半を小平で過ごすことになったのです。
って、かなり大げさですが。

ファミレスのバイトが始まって1か月。
事情は忘れちゃったけど、一緒に入った友達とは、まったくシフトが合うことはありませんでした。
私は、18時から22時って感じでバイトしてたのかな〜。
ウェイターのバイトだったんですが、新人は、パントリーといって、皿洗い補助みたいな仕事をさせられます。
なんというか、タイミングとか要領のよさとか、その他モロモロの理由から、パントリーをぬけ出して、本来のウェイターの仕事に移るんですが、私は、1か月くらいはパントリーをやっていました。
その頃のバイト仲間とも、ほとんど話をすることもなく。
当時は、もう自分の性格がわかっていたので、別に何とも思ってなかったかな。
さすがに、居づらいなーとか思ってたんだろうけど。
でも、一人で黙々と皿洗いやって、時間がきたらウチに帰るってだけでも、さして問題があるわけでもないし。
職場いじめ??にあうこともないし。
気楽なもんです。

そんなこんなで1か月が過ぎ。
さすがに慣れてきたのかな。
バイト仲間とも、ちょっとは話をするようになったりして。
慣れてくると、態度がでかくなるってな悪い性格も徐々に顔を出してきたりして。
たぶん。
パントリーを卒業して、ホールに出るようになりました。
ウェイターです。
ファミレスの、テキトーなウェイターだけどね。
てなところで、また次回。

›2013- 10- 31

1986年

Posted by LSD at 21:24 / Category : 清志郎が教えてくれた
再開?したばかりなんだけど、そろそろ1985年も飽きてきた?ので1986年。
とりあえず、1986年。
大学に入学した年ですが、当然ながら、1月から3月はまだ高校生。
私は、エスカレーター式の高校だったので大学受験は経験していません。
それがよかったのか、悪かったのか。
なんとなく、すごく自分に甘々な性格なので、自分としてはよかったかな〜。
だがしかし、一般的には、エスカレーター式、つまり大学受験を経験しないのはオススメしないなー。
なんだかんだで、フツウの人は、やっぱり勉強しなくなるし。全く。
学校の勉強、成績がいいか悪いか、ってのは、そんなに重要じゃないってのは理解できるけど、まったくもって努力することをしなくなっちゃうような気がします。
フツウの人は。
むしろ、抜け道を探す方に小賢しくなるっていうか。
そういうのは、もっと大人になってからのほうがいいような気がするんだな。

それはそうと。
1月から3月くらいには、自分が進学する学部も決まってたのかな。
そりゃそうか。
私は、前にも書いたような気がしますが、なんとなく文学部を希望してました。
というか、大学に行くなら文学部がいいなという感じ。
でも、文学部ってイメージが悪かったんだよな、当時。
成績がどうにもこうにも、って方が仕方なく、そこしか行けないから決めた、みたいな。
大学卒業後の就職もよくないとか。
就職がよくないとかいっても、バブル直前だし、まだまだ高校生なんですけどね。
そんなこんなのイメージに負けて?、結局、経済学部に。
まったく興味なかったんですが。経済。むしろキライだし。
とはいえ、理工学部とか、理数系はその頃カンペキにダメダメになってたし。
経済学部にぎりぎり行けそうな成績だったってのも大きいかも。
行けるんなら行っとくか、みたいな。

てな感じで、高校生活最後の3か月を過ごしたのかな〜。
当時から、自分の性格というか、行動パターンというか、は、今とほとんど変わってないです。
変わってないというか、本来の自分になっていた、と言ったほうが正しいかも。
一言でいえば、篭りがち、になるのかな。
人見知りが激しかったり、自分は清志郎を聴いてるんだみたいなヘンな自尊心が強かったり、そんな感じ。
友達も少なかったな〜。
今は、その辺りは、ぜんぜんヘーキなんだけど、当時はまだ若干悩んでたかもしれません。

で、そんなこんなで、3月。
さすがに、卒業後の学部も決まって、のんびりムード。
数少なかった友達に、アルバイトの誘いを受けました。
誘いというか、一緒に探そうみたいな感じだな。
さしたる理由もなく、ウェイターのバイトを探し出します。
3店舗くらいは面接を受けたのかな。

で、それほど苦労することもなく、ひとつのお店でのバイトが決まりました。
今はなくなっちゃったけど、一応、ステーキがメインのファミリーレストランです。
ここでのバイト体験が、その後の私の人生を大きく変えました。
激しく大げさか。
いや、そんなに大げさじゃないかもしれないな。
ってなくらいに、ファミレスバイトにハマっていきます。
ということで、続きは次回。たぶん。

›2013- 10- 24

1985年 映画

Posted by LSD at 23:2 / Category : 清志郎が教えてくれた
当時の記録がさっぱり残ってないので、そもそも映画を観てたのかもよくわからないんですが、とりあえず。
1985年に公開された映画リストみたいなところをざっと調べてみたんですが、少なくとも新作はあんまり観てなかったようです。
それでも覚えてるのはこんな感じ。
ターミネーター
ランボー/怒りの脱出
台風クラブ
二代目はクリスチャン
それから
バック・トゥ・ザ・フューチャー

とはいえ。
これらのなかで、確実に映画館で観たよな〜って覚えがあるのは、「それから」くらいかな。
あとは、レンタルビデオとかで観たような、あるいは、名画座とかで観たような。
台風クラブ、それから、バックトゥザフューチャーは面白いですなー。
もう一度、観てみたい。

てな感じの1985年の映画でした。
なんとなく、お金もそんなにもってなかったはずだから、ロードショーじゃなくて、名画座で観てたような気がします。

›2013- 10- 23

1985年 Led Zeppelin

Posted by LSD at 20:49 / Category : 清志郎が教えてくれた
1985年にハマったってわけじゃないんですが(たぶん)、Led Zeppelin。
RCからストーンズ、で、ちょっとヘビメタ、ハードロックにいって、昔のロックを遡るように聴いていく中で、やっぱりちょっとハマったのがLed Zeppelin。

最初に聴いたのが、Led Zeppelin II、じゃなかったかな。たぶん。
その最初に聴いた時のことをけっこう覚えてます。
私にしては、珍しいことなんですが。
貸しレコード屋さんから借りたんだよな、たしか。
で、レコードを聴き始めて、けっこうショーゲキ。
スピーカーの左、右にグワングワンと音が行ったり来たり。
今は、そんな音作りをするバンドってないような気がします。
あからさまにグワングワンさせた音楽ってそれまで聴いたことなかったからショーゲキだったんだよな。
まさに、なんだこれ〜!って感じで。

曲もいまひとつポップって感じじゃないし。
メロディーが綺麗って感じでもないし。
グワングワンの印象だけが残って、これってホントに評価が高いバンドなのか!ってのが正直な気持ちだったと思います。
それでも、ちょっとずつアルバムを聴いていって、他のバンドのアルバムとかも聴いていく中で、やっぱ、Led Zeppelinはいいわー!ってなっていきました。
当時、ハマった、いわゆるヘビメタ、ハードロックは、今ではサッパリ聴かなくなったし、ぜんぜんいいとも思わないんですが、Led Zeppelinは別格、なような気がします。
というか、自分の中では別格ですね。

そうそう、いつ頃から、いいなぁって思ったのか忘れちゃいましたが、Led Zeppelinって、ボーカル・歌をメインに聴くよりも、ギターとドラムの音を聴いてるとすごくかっこよく響いてきて。
そんな聴き方を覚えてから、ものすごく印象が変わって、ものすごくカッコイーなって思うようになりました。
今でも、その気持ち、聴き方は変わらないかな。
そういう聴き方をするのは、Led Zeppelinくらいかな〜。
ロバート・プラントには申し訳ないんですけど。

てなことで、たぶん、1985年くらいにはハマってたバンドであろう、Led Zeppelinのお話でした。

›2013- 10- 22

1985年 バドミントン

Posted by LSD at 22:28 / Category : 清志郎が教えてくれた
なんかちょっと余裕が出てきたので、激しく久しぶりのカテゴリーの続き。
いつまでこの余裕が続くかわからないんだけど。とりあえず。軽く。

1984年のときも書いたような気がしますが、1985年当時、まだバドミントンはやってたんじゃないかな。
高校生のなんだろう、自主部活というか、自主的な行動というか。
正式な部活動としては、バドミントン部ってなかったんで。

その頃は、確か、私を入れて、3人くらいの活動になっちゃったんじゃないかな〜。
最初は5人くらいはいたような気がするんだけど。
で、前にも書いたんだけど、このバドミントンの活動が、私は嫌で嫌で。
友達が少なかったんで、というか、このバドミントンに関係する友達しかいなかったんで、泣く泣く続けてたってのが正直なところです。

バドミントンって、激しくツライんだよなー。
いや、体育系の部活で辛くないものなんてないんだろうけど。
もともとの資質として、篭り系というか、インドア系というか、なのは確実だと思うんですが、この当時のバドミントンの活動でハッキリ自覚したなー。
もう、スポーツなんて無理!
二度とやらない!って思った記憶があります。
で、その通りの人生を送ることになります。
篭り系?の人生?に悔いはないので、そういう意味では、このときの体験は貴重というか、良かったのかもしれません。

って、愚痴愚痴してますなー。

いや、ホントに、いい思い出ってなくてねー。
当時の友達には申し訳ないんだけど。
大学のバドミントンのクラブ?にも出入りしてたんだけど、その雰囲気も全く好きになれなかったし。
  触んなよ 俺に触んな
ってな感じで、若干、ささくれてたかもしれません。

うむー。
なんか思い出して来ちゃったな。
ちょっと大学のゼミと混同しているかも、だけど。
なんだろう、打ち上げだかなんだかに、みんなと行ったのかな。
で、なんだか帰りに皆と一緒の電車に乗って帰るのが嫌で、山手線を一区間ひとりで歩いて、別の電車に乗ってウチに帰ったってこともあったな。
暗いなー!
って、こういう行動は、今でもあんまり変わってないけどね。

いまさらだけど、こんなことをしちゃう人は、長澤くんとか初期チャボにハマると思うよ、ホントに。
という、なんというか、けっこう暗黒な感じのバドミントン活動でした。

›2013- 4- 27

1985年 THE 仲井戸麗市 BOOK

Posted by LSD at 21:22 / Category : 清志郎が教えてくれた
1985年。仲井戸麗市、チャボのファーストソロアルバムが発売されました。
1985.8.31発売みたい。
たぶん、私は、発売日あるいはその直後には購入して聴いたはず。
このアルバムはよかったなー!
すごくよかった。
いまでも大好きです。
重くてね。いや、重いからいいってわけでもないけど。

RCの「HEART ACE」よりぜんぜんいいな!って思ってたし、いまでも、そんなふうに思ったりもするけど、何気に「HEART ACE」のほうが発売が遅い(1985-11-21)んだな〜。
って、さっき気がついた。

って、いま、気がついたけど、THE 仲井戸麗市 BOOK、この日記で10年くらいまえに感想を書いてた。
ま、いいか。

にしても、かっこいーな。
チンピラのような感じがするなー。それがいいのかなー。
尖ってるなー。すごく尖ってる。
1985年の夏の終わりかー。
ライブ、行けばよかったな。
高校生の頃は、ライブに行くって発想がなかった。
周りも行くような感じじゃなかったし。
そもそも、チャボを聴いてるやつなんて、ぜんぜんいなかった。
一人、その頃の友達にカセットテープにダビングしたような気がするけど、散々だったな、確か。
で、またまた思い出したけど、「ONE NITE BLUES」とかRCの「まぼろし」とかを選曲して、テープ作ったんだけど、これまた散々な評判だったな。
人それぞれでいいんだけど、まったく合わないってのも、うーむって感じだったな。
いまは、それもいい思い出になってるけど。

って、ずいぶん話がズレた。
また「THE 仲井戸麗市 BOOK」のようなアルバムが聴きたいな。
ちょっと強引だけど、この頃のチャボの匂いと長澤くんは似てるって思います。
いま、「秘密」が流れてるんだけど、この匂い。籠もり具合。
漆黒感。
たまらん、です。

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