›2006- 10- 27

1981年 「吉里吉里人」

Posted by LSD at 23:56 / Category : ヒデキから始まった
1981年、井上ひさしの「吉里吉里人」が発売されました。たぶん、リアルタイムで購入して、とっても長い小説ですが、なんとか読破したと思います。この頃には、井上ひさしが発表した小説はほとんど読んでいたはずで、かーなり、はまっていました。戯作という言葉も井上ひさしから学びましたし、ほとんど憧れに近いものを感じてたと思います。あの風貌はともかく。

しかし、この「吉里吉里人」を読んだ後、あるいは数年後くらいか、井上ひさしからはちょっと離れていくことになります。単なる気分的なものか、あるいは、もっと面白いモノを見つけてしまったからか。たぶん、後者でしょう。

1981年、RCサクセションは「EPLP」、「BLUE」という2枚のアルバムを発表しています。
確か、初の武道館コンサートも演っているはずです。
だがしかし、私は、まだ、その存在を知っていません。でも、もうすぐです。
自分で書いていて、なんなんですが、まさに夜明け前という感じがします。

1981年は、この辺りでお終いですが、触れていなかったことを軽く書いておきます。
この年は、私の周りだけなのか、世間一般的なものなのか、いまいち定かじゃないんですが、「マイコン」がブームになっていました。パソコンではなく、「マイクロコンピュータ」あるいは「マイ コンピュータ」の「マイコン」です。中学2年の頃だと思いますが、マイコンに詳しい友達がいました。私もそいつに影響されて、なんだっけな、ベーシックだっけ、そんな言語だかなんだかのプログラミング(といっても簡単なゲームとかだけど)の本を買った記憶があります。でも、全然難しくて、すぐに興味をなくしました。まだまだコンピュータは高かったですし。それでも、マイコンは家電屋さんに並び始めてましたね。

あとは、あー、そうそう、ゲーセンが流行ってたな。
2~3年前からテレビゲームが出始めていましたが、爆発的に流行りだしたのは、この頃だったような気がします。ギャラクシアンとか・・・と思ったら、Wikipediaによると、ギャラクシアンは1979年11月に発表されたって書いてあるなぁ。そんな前だったけか。
ドンキーコングかな・・・と思ったら、これはドンピシャ(死語?)だった。
というようなゲームにも、結構はまってたかも。そーでもないかな。

そうそう、それと、この年の英語を教えていた教師が、ちょっと変わっていたのか、英米のポップスを月毎に1曲、授業前に聴かせてくれて、確か希望者にはテープにも録音してくれました。その聴かせてくれたポップスの中で、未だに覚えている曲が、「P.S I LOVE YOU/Beatles」、「パフ/PPM」、「イエスタデイ ワンス モア/カーペンターズ」です。これは、けっこう貴重な体験だったかも。

これで、1981年は終わりです。
1982年には、とうとう、私の人生を大きく変えることになる存在と出会います(大袈裟)。
ということで、「ヒデキから始まった」のカテゴリーのお話もこれで最後とします。
って、このカテゴリーの中で、ヒデキが登場したのは、ほんとの当初だけでしたが。

›2006- 10- 26

1981年に「機動戦士ガンダム」が公開された

Posted by LSD at 23:58 / Category : ヒデキから始まった
機動戦士ガンダムは、1979年から1980年にかけて、テレビで放送されたのが最初です。が、これも有名なお話ですが、テレビ放送された当初は、それほど話題になりませんでした。口コミとか「アニメージュ」のようなアニメ雑誌の影響でしょうか。というか、作品が素晴らしいというのが一番ですか、たぶん、1981年くらいから爆発的な人気となったような気がします。劇場版「機動戦士ガンダム」はこの年に公開されています。

で、私は、ガンダムは、すげー夢中になるほどに好きってわけでもありませんでした。映画も観てないし。とはいえ、やっぱり、革新的な物語には惹かれました。「ニュータイプ」ってだけで、なんだかかっこいーし。

ガンプラも毎月のように新しい作品が出ていたような気がするけど、この頃だったかな?
プラモデル屋さんに告知のポスターがでて、発売日には即日完売ってなほどの人気だったと思います。私は、これまた、すげー夢中になるほどではありませんでしたが、3つか4つくらいは作りました。ザクとか。

さて、今日のタイトルはほんとは、「ルパン三世 カリオストロの城」でいきたかったんですが、1981年とカリオストロとの関連が見つからず、ガンダムを引っ張ってきました。
「ルパン三世 カリオストロの城」は1979年の12月に劇場公開されていますが、私は観ていません。はじめて観たのが、いつか思い出せないのが悔しいところなのですが、1983年に定期券入れにクラリスの切り抜きを貼りつけていたことを覚えているので(なんでこんなことを覚えてるんだ)、ま、この頃に観たんでしょう。

「カリオストロの城」は、ほんと大好きな映画です。一時、かなりはまりました。前にも書きましたが、映画の「完全サントラ盤」も買っちゃったほどです。リバイバル上映も数回は観たんじゃないかと思います。映画の世界観も、物語も、もちろん、ルパンやクラリス、銭形警部などの登場人物も、ほとんど完璧です。

この頃には、雑誌「ぴあ」を買い始めたかなー。まだかな。
「ぴあ」では、毎年、ぴあてん、もあてんというベストテン企画をやっていて、「カリオストロ」がもあてんで毎年ベスト3には入っていた記憶があります。そんなところから興味を持ったのかもしれません。

ということで、「ルパン三世 カリオストロの城」は、長い間、私のなかの映画ベスト1でした。
今では、ベスト1とか考えなくなっちゃったので、どーかなって感じですが、それでも今でも大好きな映画であることには変わりはありません。宮崎駿の映画の中でも、やっぱり、一番好きかなー。

›2006- 10- 24

1981年 『ポートピア'81』

Posted by LSD at 23:42 / Category : ヒデキから始まった
1981年で、忘れちゃいけないのが『ポートピア'81』。
神戸ポートアイランド博覧会とは、神戸港に造られた人工島ポートアイランドにて1981年3月20日から9月15日まで開催された博覧会。愛称は「ポートピア'81」。1,610万人の入場者があり純益60億円を記録した。会場面積は約72ha。
神戸ポートアイランド博覧会 - Wikipedia
という博覧会ですが、私は、友達5~6人と2泊か3泊くらいで出かけました。
友達だけで、寝台列車で、ホテルに泊まって博覧会へ。全部、初めての体験で、興奮したのはもちろん、とても面白かったです。ポートピア'81そのものも、そこそこ面白かったと思うのですが、それ以外、友達と過した夜とか、列車の中ではしゃいだこととかのほうが印象に残ってるなー。まだまだ青春って感じじゃないところが、また、なんともいえないです。

この旅行は、ポートピア'81のほか、大阪梅田だっけなー、蒸気機関車の博物館みたいなところに行ったり、金閣、銀閣とかにも行ったような記憶があります。
寝台列車とか蒸気機関車の博物館とか、この辺、「999」の影響もあったのかもしれません。

そういえば、今、唐突に思いだしちゃったので、ポートピア'81とは関係ないけど、ここに書いとこう。たぶん、この頃だと思うのですが、私は星とか宇宙にちょっと興味があって、というか、これも「999」の影響だと思いますが、で、天体望遠鏡で月とか土星とか見たりするのがちょっとだけ好きでした。安っぽい望遠鏡でも、木星とか案外大きく見えたりして、土星の輪も見えたりして、感動しました。星の写真も撮ったりしてたかな。とはいえ、飽きっぽい、長続きしないというのは、天性なのか、そーだなー、2年間くらいしか、天体観測もどきは続かなかったような気がします。

ついでに、その頃の夢を。
ちょっと遡っちゃいますが、小学生の低学年の頃はバスの運転手(今は、バスが超苦手だというのに)、高学年になると小説家か漫画家、1981年くらいになると、これに天体関係のお仕事というのが夢だったと思います。

あー、今、気付いたけど、プロ野球とかのスポーツ選手とかになりたいとかは、まったく考えたことはなかったな。今更だけど、自分のことなんだけど、なるほどーってな気分。

›2006- 10- 23

1981年は「セーラー服と機関銃」

Posted by LSD at 23:23 / Category : ヒデキから始まった
1981年に、薬師丸ひろ子主演の「セーラー服と機関銃」が公開されています。映画の主題歌も大ヒットしました。で、私は、この薬師丸ひろ子のファンになっておりました。思えば、初めてのアイドルです。ポスターも貼っちゃったりしたな。薬師丸ひろ子は「野生の証明」の少女役が、子供心に凄い印象に残っていて、この「セーラー服~」でキマッタって感じでした。レコード(EP)も買ったなー。いまだにEP盤は手元にあったりします。

薬師丸ひろ子以外の音楽は、「ルビーの指環/寺尾聰」でしょうか。とにかく大ヒットしました。「長い夜/松山千春」なんかもこの年のヒット曲ですね。松山千春もこの頃まではフツウに聴けるんだがな。
「恋のぼんちシート/ザ・ぼんち」なんてのも見つかりましたが、漫才ブームだったんですね。ひょうきん族もこの頃だったかなぁ。当時、流行っていた漫才は面白いとは思わなかったんですが、ひょうきん族は好きだったな。

その他、「悪女/中島みゆき」、「街角トワイライト/シャネルズ」なんてのも好きだったような気がしますが、テレビで見ているだけでした。
しかし、この年が終わる頃か1982年の初頭に、近所に貸しレコード屋さんがオープンすることになります。この貸しレコード屋さんの存在は音楽環境を劇的に変えてくれました。

とはいえ、まだ1981年のお話は続きます。

›2006- 10- 19

1980年には

Posted by LSD at 21:48 / Category : ヒデキから始まった
1980年といえば、こんなことが起こっています。
1月 RCサクセション、シングル「雨あがりの夜空に」発売
1月 RCサクセション、渋谷「屋根裏」で4日間ライブ
4月 RCサクセション、久保講堂でワンマン・ライブ
5月 RCサクセション、シングル「ボスしけてるぜ」発売
6月 RCサクセション、久保講堂ライブアルバム「Rhapsody」発売
10月 RCサクセション、シングル「トランジスタ・ラジオ」発売
12月 RCサクセション、アルバム「PLEASE」発売

すさまじい活躍です。飛ぶ鳥を落とす勢いとはこーいうことをいうんだろーなぁ。
しかし、田舎の中学生にはこの情報は入ってきませんでした。
確かな記憶じゃありませんが、清志郎のことは、この年は知らなかったと思う。
友達との会話の記憶もないし、誰かが清志郎のふぁんだということも聞いてないと思う。
そして、この年には、こんなことも起こっています。

12月8日 ジョン・レノン銃殺

さすがに、これは、大きなニュースになったのでリアル・タイムで知っていた。
とはいえ、たぶん、「ふーん」くらいしか感じなかったと思う。

なんていうか、ものごとを知っているか、知らないままでいるかによって、人生が変わるよなーなどと大袈裟に思ったりします。
世界のすべてのものごとを知ることなんて不可能。だがしかし、知ろうと思えば簡単に知ることができる状態にあったとき、あえて知らないままで見過ごすことは止めたほーがいいかもななどと大袈裟に思ったりもする。

そんなことをうだうだと考えさせられる大きな事件の数々でした。

›2006- 10- 17

1980年といえば松田聖子

Posted by LSD at 22:20 / Category : ヒデキから始まった
いや、松田聖子のファンだったわけではないのですが、1980年 - Wikipediaをたらたら見ていると、やっぱり、松田聖子とか田原俊彦、近藤真彦、柏原芳恵辺りの印象は強いです。ザ・ベストテンも見てたし。
それでも夢中になるほどじゃなかったな。この年はレコードを買った記憶もないし。

とはいえ、ダンシング・オールナイト/もんた&ブラザーズ、大都会/クリスタル・キング、さよなら/オフコース、私はピアノ/高田みづえ、Yes・No/オフコースなんかは好きだったかも。

それより、「3年B組金八先生」とかのほうが夢中だったかなー。
私は中学生になってたりして、通っていた中学校もけっこう荒れてたりもしてたし。

前回、映画やアニメが好きになったとか書いたよーな気もしますが、「ヤマトよ永遠に」を映画館で観たくらいだな、たぶん。我ながらテキトーだ。

ただ、そんなことより、中学生という時代のほうが重要かも。
比較的というかとっても積極的な性格だった私は、わりと極端に振れたような気がします。公立の小学校から中学校に変わっただけなので、友達も変わらないし、そう大きな環境の変化があったわけでもないのに、どーしてでしょう。もともとの資質かな?
生徒会なんて、まったく興味が失せたし、もちろん、学級委員なんてやりません。
ちょっと前に書いた井上ひさし「ブンとフン」の影響もたぶんあったんでしょう。とにかく、世の中をちょっと斜に構えるようになりました、確実に。
今、振り返ってみると、ロックという音楽にハマル素性は、この頃から形成されていったんでしょう。

とはいえ、クラスのなかで、さして浮いてるわけでもなく、目立つわけでもないフツーの生徒だったような気がします。別にツッパリ(おー、死語か?)になってたわけでもないし。
さらにいえば、まだまだ素直なところも多々あったので、素直に勉強とかしてたな。何の疑問ももたずに。

中学生というと、「不安定」という言葉が思い浮かびます。
私は、なにげに、その不安定な時期が好きです。
1980年頃は、自分でも、まだまだ子供っつう感じがありますが、このあとの2~3年間は、さすがにここに書くのは憚られるなーっつうこともあったりして。まさに、不安定っつうか、「青い」って感じです。それでも、しつこいようですが、この頃は嫌いじゃないなー。

どーでもいいんですが、この頃から父親とはダメダメな関係になったんだな。
そして、それは今でも続いているという。そーいう意味では、まだまだ「不安定」な時期が終わってないのかもしれません。

›2006- 10- 16

1979年、まだあった

Posted by LSD at 23:29 / Category : ヒデキから始まった
音楽とかとはまったく関係ありませんが、1979年といえば、もう一つ、大きな事件がありました。西武ライオンズの誕生です。プロ野球は、今はまったく興味をなくしてしまいましたが、当時は、フツウに好きでした。で、そんな小学生が行こうと思えば歩いていけるとこにプロ野球の球団がやってきたのです(実際は、気合を入れて「行こう」と思わないと行ける距離ではありませんし、歩いて球場に出かけたこともありませんが)。

これは、ほんとに大きな事件でした。
地元では、周りの友達はもちろん、大人たちもかなり盛り上がっていたような気がします。私を含めた子供たちは、「西武ライオンズ友の会(だったと思う)」に入りたくて、その年のシーズンオフ(3月くらいか)に、近くの西武線の駅に毎日のように通ったのでした。
「友の会」は、西武線の各駅で受付をしていたからなのですが、いつまで経っても「まだ受け付けてない」と言われつづけてたんだっけかな。それでも毎日のように通ったよな。毎日通うことに意味があるような、そんな気がして。

そのうち、無事、「友の会」にも入会できて、ライオンズの帽子をもらって、中学生以下だったかな、内野自由席と外野席フリーパスをもらって、とても嬉しかったことを覚えてます。

1年目のライオンズ、特にシーズン当初はとっても弱くて、すんごい連敗したんだよな。
それでも、その年は、ずいぶん球場に足を運びました。20回近く(は大袈裟かな?)は行ったような気がする。結局、その年のライオンズは最下位でした。

私を含めて、どれだけライオンズが盛り上がっていたのか、小学校の卒業アルバムを開いてみるとひと目で分かります。男子の9割くらいはライオンズの帽子を被ってるので。

井上陽水の、いや、ここは清志郎バージョンの「少年時代」が聴こえてきそうな、ごくごくフツウのお話ですね。

›2006- 10- 13

1979年の書き忘れ

Posted by LSD at 22:13 / Category : ヒデキから始まった
1979年で書き忘れていたことがありました。
この年は、「銀河鉄道999」が劇場公開されてます。
「999」は、私がはじめて映画館で観た映画なんですね。そのときのことは、かなり鮮明に覚えています。池袋の東映(だと思う)に、友達数人と出かけました。もしかしたら、都心(池袋)に遊びに行くというのは、このときが初めてだったかもしれません。夏休みで、映画館は混んでいました。立見だったような記憶もあります。

で、この「999」、内容がよくて、とっても感動しました。今思い返しても、けっこういい映画だと思いますが、当時はがつーんとやられましたね~。これがきっかけで、私は、ごくフツウのマンガ(アニメ)好きから、もうちょっと上(?)のレベルのアニメ好きになったような気がします。あぁ、それと、アニメだけじゃなくて、映画そのものもとっても好きになりました。

主題歌は、ゴダイゴが歌う「銀河鉄道999」でした。とーぜん、この歌も好きで、たぶんレコードも買ったんじゃないかな~。「ざ ぎゃらくしえくすぷれす999 ういる ちぎ おん ざ じゃーにー あんど ねばー えんでぃんぐ じゃーにー」(テキトウです)という英語の歌詞もかっこいーと。
さらに、映画の「完全サントラ盤」もたぶん持ってたと思います。「完全サントラ盤」とは、そのものずばりですが、映画をそのまま台詞を含めてレコード化したものです。ビデオが発売されてないか、一般家庭に普及されてない時代には、それほど珍しくなかったと思います。今じゃ、発売されるわけない代物ですけどね。

ただ、残念なことに、この「完全サントラ盤」(数年後に公開された「さよなら銀河鉄道999」のも持ってた)中古レコード屋さんに売っちゃいました。今、思うと、すげー後悔です。高田馬場の中古屋さんですが、ここには、RCの「The Day Of R&B」とかも売ってしまった記憶があります。さすがに、「The Day Of R&B」は、「しまった」と思って(長らくCD化されなかったので)、数年後に再びどこかの中古屋さんから購入しなおしましたけど。

話がそれました。
ということで、「銀河鉄道999」は私に大きな影響を与えてくれました。
ちなみに、1979年には「ルパン三世 カリオストロの城」も公開されています。しかし、けっこう有名な話ですが、「カリオストロ」は公開当初、まったく話題にならなかったんですね。私は、公開したことすら知らなかったと思います。で、数年後、おもいっきりはまることになります。

›2006- 10- 6

1976年から1979年

Posted by LSD at 23:34 / Category : ヒデキから始まった
前回、「もう少し詳しくみてみる」と書いておきながら、またしても方針変更。
やはり強烈に印象に残ってるとか、その辺りに絞ってみる。
ということで、1976年から1979年。
1979年には、私は小学校の高学年になってます。

この間でも、音楽はそれほど、というかまったく身近な存在じゃなくて、ベストテンとかラジオの「森田公一の青春トップテン(だったと思うんだが)」を見たり、聞いたりするていどのものでした。
結構、好きだったのが、「勝手にしやがれ」(沢田研二)、「あんたのバラード」(世良公則&ツイスト)あたりか。でも夢中になったってほどじゃないなぁ。

で、なぜか、その頃に購入したアルバムがアリス「ALICE V」ですね。自分で買ったんじゃなくて、姉貴のものだったような気がしますが。ちょっと調べてみたら、1976年に発売でした。もしかしたら、リアルタイムじゃなくて、78年頃に聴いてたかもしれません。「今はもうだれも」、「遠くで汽笛を聞きながら」、「帰らざる日々」あたりが印象に残ってます。

でもって、さらに松山千春のアルバムも、もしかしたら聴いたかも。いや、姉貴がファンをやってたんです。

さらに、さらに、なぜか、かぐや姫の「かぐや姫LIVE(じゃないかも)」も購入してます。これは、たぶん、私が選択したんじゃないかな~。

清志郎ファンである私には、ちょっと隠したい過去かも。
いや、流行ってたんだよな、たぶん、きっと。

ということで、この4~5年は、時代の流行に忠実に、ヒットソングとフォークソングを好んで聴いていた、そんな時代だったのでした。

私はフツウの小学生だったのかな?
ちょっとはヒネクレ感も現れはじめてたかもしれません。
それでも、学級委員とか児童会とかをやっちゃうような子供だったから、まだまだ積極的に社会生活を送っていたような気がします。

で、小学校を卒業する間際には、そういうなんていうか、クラスをまとめるとか、ちょっと大袈裟ですが、体制側(学校、先生側)で活躍するのが、さっぱり馬鹿らしくなっていったんだと思います。きっかけは覚えていません。まぁ、そういう気分だったのか、もともとの資質だった、そんなところだったんでしょう。

なんか清志郎に近づく要素がだんだん形成されてるなーと、今、ふと思ってしまいました。
あー、そういえば、もうこの頃はヒデキにはさっぱり興味がなくなっていました。

›2006- 10- 2

1975年 『加藤茶のちょっとだけよ』

Posted by LSD at 23:13 / Category : ヒデキから始まった
「あっけなく1970年代初期~中期の頃は終わりです」と書きましたが、それもちょっと寂しいような気もして、もう少し詳しくみてみることにします。

といっても、何のヒントもなく、つらつらと書いていくのはとても無理。そこで、Wikipediaの力を借りることにしました。ざっとWikipediaを眺め、これは追体験ではなく、自分の記憶としてあるという年が1975年であることが判明。ということで、1975年についてです。ちなみに、75年以前でもまったく記憶がないわけではなく、たとえば、幼稚園の頃に友達と遊んだ風景なんかは一瞬の場面ではありますが、覚えてたりします。まー、それでも社会的な事象とかにとりあえず限定しようかなと。

1975年。なんといっても「広島、球団創設以来26年目で初優勝」。これはほんと鮮明に覚えています。その前の年の長嶋現役引退はまったく記憶にないので、75年頃に頭がしっかりしてきたんでしょうか。広島カープはこの年以降、けっこうな間、ファンだったなぁ。今は、ほとんどまったくプロ野球には興味ないけど、ずうっとアンチ巨人だったりもします。

音楽では、1975年 - Wikipediaの、「1975年の音楽」に挙がっているやつは、ほとんどリアルタイムで覚えています。特別に好きだったわけでもないのですが、「心のこり(細川たかし)」、「ロマンス(岩崎宏美)」は、なんだろうな、レコード大賞新人賞かなんか取らなかったかな。そんな感じで思いで深い。
何気に「私鉄沿線(野口五郎)」とか好きだったような。ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」もインパクトがありました。

さらに、詳細な、1975年の音楽 - Wikipediaを覗いてみます。
おー、「年下の男の子」(キャンディーズ)があるじゃん。で、以外に記憶がないのが、「時の過ぎゆくままに」(沢田研二)。あまりテレビに出演しなかったのかなぁ。ヒデキもいまいちパッとしてないっすね。
それと、これは納得な気がする、井上陽水によしだたくろう。年間アルバムトップ10の1位から3位まで独占してますが、当時は、その存在も知らなかったと思います。テレビに出ないとね。しかも、「8時だよ全員集合」とかに。

と、「全員集合」が気になって、8時だョ!全員集合 - Wikipediaを覗く。
おー、荒井注が脱退したのは1973年じゃないか。『ジャンボマックス』、『加藤茶のちょっとだけよ』、『荒井注の「This is a pen!」』も鮮明に覚えてるよ。うーん、「全員集合」は偉大だ。

私は、当時、小学校低学年。どこにでもいる小学生だったんじゃないでしょうか。
まだまだひねくれてもなく、わりとっつうか、かなり積極的な児童だったと思います。あと、特徴的なことといえば、背が低かったことでしょうか。幼稚園の年少から高校2年くらいまで、ずっと一番前でした。「前ならい」(だっけ?)のときに、手を腰に当てるポーズをずうっとやってました。小さい頃は、「背が小さいこと」も自慢だったんだよな、なぜか。

そういえば、もうこの頃には、RCサクセションはデビューして5年くらい経っているわけです。だがしかし、もちろん、私はその存在を知りませんでした。

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